「手間を省くということは、愛情を省くということ」

いきなりなんじゃい…? ってカンジですね(;´▽`A``


読書が趣味として成り立つのかどうかという疑問は常々あるのですが、
みぉは読書が好きです。

活字を読むのが好き ともいえますが。

今はネットがあるので、ブログなどで色々なヒトの考え方を知ることが
できますよね。
だけど、やっぱり「本」としてきちんとプロが書いたものには目からうろこの
ハッケンがとっても多く、読書をする余裕があるときはある意味みぉは健康なのだと
自分で思っています。

今日も1冊本を買いました。

みぉの好きな作家さんのお1人である「原田宗典」さんのエッセイです。
好きな作家といっても、実は原田さんの小説は全く読んだ事がありません。
みぉとしてはこの方のエッセイが好きなので、エッセイばかりです。

その今日買った本の中で、出てきた言葉がとってもしっくりいきました。
なるほどな!ってカンジでしょうか。

それが一番最初の行に書いた言葉です。

本当は、原田さんが書いた文章にはあと2つあったのです。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。」
「愛とは必ず行為を伴うものである。」

これは、有名な尼僧の方がおっしゃったらしいのですが、冒頭に上げた言葉は
原田さんの娘さんがおっしゃったことだそうです。


尼僧の方の2つの言葉と、冒頭の言葉は使っている言葉は違うけど
言いたい事っていうのは、ほぼ同じですよね って原田さんは書いておられるのですね。

冒頭の言葉は逆を言えば、

「手間をかけるということは、愛情をかけること」

っていうことになるよね ってみぉは理解したのです。
んでそうすると、みぉが恋愛中に不安に思ったりとか、幸せになったりとかする事柄が
全部説明がつくのかも って納得したんですよね。

なんでなんで??っておもっていたのが、もんのすごいシンプルに言葉にされていて、
この娘さんすげー…ってただただ感心しました。

いぁ、まじですごいですよ。
っつか、ふつーはみんな判ってること…?w

まぁでも、みぉの場合は っていう注釈がつくかもしれません。
ヒトによっては、手間よりお金をかけてもらうことが愛情だと取るヒトもいるだろうし。

「手間」の定義も人それぞれかもしれませんよねぇ。

手間 っていうとイマイチマイナスなカンジもしないでもないんですが、
例えると、「手作りのお弁当」と「ホカ弁」の違いとか?
そんな感じ。(よくわからん…?)

最近は、小学生が遠足のお弁当にコンビニの弁当を持ってくることも
めずらしくないとか聞いたんですけど、なんだかそれって「かわいそうだなぁ…」って
直感で思ってしまうのですよね。みぉは。

働いてるお母さんとか、あるいはたまたまその日お母さんが体調悪くてとか、
色々理由はあるんでしょうけど、毎日じゃないんだし、たったその一日の為に
早起きして、手作りのお弁当を作ってあげる手間がやっぱり愛情なのかなって思うわけです。

よくある、好きなヒトに手料理を…っていうのも、愛情を示す為の行為だったりしません?
作る手間 っていうのが愛情の大きさのような。

手間を省く事のすべてが悪ではないですけど、ことヒトとのかかわりとしては、
その時々での「ひと手間」をかけるかかけないかで、愛情あるなしってはかれるような気がします。
みぉが常々彼に対して、不安になってるのも、不安になる理由はこの手間のかけられ方にある気がします。
そして、彼の元カノに対する嫉妬も、彼が元カノに対してかけていた「手間」が自分と比べると
あきらかに多いってのがあるからなんですよね。

もちろん手間をかけるにはそれ相当の時間を費やすわけで、時間がないと手間をかける
優先順位は変わるんでしょうけども。

彼の場合は、みぉのことより他の事に手間をかけている(かけざるを得ない)んだなと
思っています。
っていうか、みぉは勝手に「自分は彼から手間をかけてもらうのが当然な存在」と思っていたのかも
しれません。

長い間付き合うとそういうのもあるかもしれません。
んーだけどなんというのかなぁ、そこに思いやりがあるかっていうと、みぉが見える範囲からだけでは
みぉの心をわかってくれてると感じ取ることができないでいます。
今かけられないから、時間のあるときに後でたくさん手間をかけるか、少ない時間の中からでも
少しの手間をかけるか その重要度を判断するのってその人それぞれなんでしょうけど。


みぉは時間があって、彼のことに手間をかけられますから、その手間の差が自分ばっかりが…って
なっちゃうんだろうな。


そう思うとね、彼はやっぱり今は自分にまずは手間をかけたいんじゃないかなって思うわけです。
自分に手間をかけてからでないと、人には手間をかける余裕もないんだろうし、それでも細かくちょっとした手間を
かける人ってのは愛情があるからなんでしょう。
簡単に言えば、みぉはそれほどの存在ではないのだな というのが一番しっくり来ました。


っと、ここまで書いたところで、それじゃ今まで彼がみぉにかけてくれた「手間」をちゃんと受け取ってきたんかいな
と自問してみたりしてます。

どーーーーしても、他人へかけていた手間と自分への手間を比べてしまって足りないって言ってましたけど、
みぉに対してっていうのを考えてみると、それなりに手間をかけてもらっているのも理解して、
それを正当に言葉にして彼に感謝していたのかな…って言うカンジかな。

それにみぉ自身が彼から「手間」をかけてもらえる価値があるんかいな ってのもあったりします。
あくまでもみぉ自身がそうおもっているだけで、「手間=愛情」っていうのが彼の考えに無ければ
みぉの勝手な判断でしかないんですけどねぇ。

今回、ほぼ1ヶ月まる放置になってたんですけど、最近はなんでも便利になっちゃって、
実際に逢えなければそれ以外にも言葉を交わす手段はいっぱいあるはずなのに、
そのどれ一つとしてみぉにはかけてもらえなかったんだなぁってしみじみ思ったり。


ぁ、今回みぉがうじうじしてる事に関しては って注釈はつきますが。


実際は、手間を手間と思わない のが愛情であって、手間を「面倒」とかになってくると、
もうその関係ってあかんのやろなぁって思います。


すんごい冷静に考えられている自分がいたりして、だけどみぉとしては
かなり納得いくカンジ。


今日、この本を買うのも何かの縁というか、神様が差し向けた事だったのかもしれませんね。


読書が趣味っていうのもアリかもしれません。



2007/9/13

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